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429件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1994-10-25 第131回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

当時の内閣鈴木内閣行管庁長官中曽根さん、特別委員会委員長は金丸さん、そして自民党筆頭理事は海部さんであり、そのほかの理事は小渕さんであり、あるいは三塚さんであった。そういう状況なので党の方から、私は当時議運の理事でしたが、一時行革特別委員会筆頭理事として仕事をしてほしいと言われて、私はそちらに行きました。  

山口鶴男

1994-06-23 第129回国会 参議院 予算委員会 第19号

そのときの行管庁長官中曽根さんでいらっしゃいます。そして、増税なき財政再建のもとに中曽根内閣におきまして臨調をやり上げたわけでございます。そしてまた、そういう臨調による行革を前提として売上税を出し、消費税を出したというのが当時の自民党でございました。  その歴史を振り返って総理はどうお感じでございますか。

久世公堯

1994-06-23 第129回国会 参議院 予算委員会 第19号

国務大臣羽田孜君) 私はその後みずからが行財政調査会長等も務めた人間でありますけれども、今お話がありましたように、中曽根総理行管庁長官として進められるときに、たしか鈴木善幸総理自民党本部に来られまして、行財政改革をする、このことについて私たちは今ルビコンを渡り、これを焼き切りましたということを実は言われたと思います。  

羽田孜

1991-04-25 第120回国会 参議院 内閣委員会 第8号

政府委員増島俊之君) この法律につきましては、先ほど申し上げましたように現時点においても実効性を有している、そういう考え方といいますか、解釈といいますか、そういうことで今日まできたわけでございますけれども、たびたびのそういう御指摘といいますか、それに対します所管大臣といいますか、当時行管庁長官あるいは総務庁長官の御答弁といいますものは、そういう問題点を持っている、そういう認識でやはり御答弁になったのではないかというふうに

増島俊之

1988-04-19 第112回国会 衆議院 内閣委員会 第6号

私の体験からすれば、かつて外務省の定員が少ないというときに、行管庁長官のときに、米の検査員が二万人余っておられました。だからそこから回したらどうだというので若干回しました。そういうふうにして、政府部内で余ったところと足りないところ、そういうふうな知恵も今後も働かせていきたい、さように思っております。

宇野宗佑

1988-03-28 第112回国会 参議院 外務委員会 第1号

私も行管庁長官をやっておりましたが、行政改革というものは何も切るばかりが能でなくて、不要なところをカットして必要なところに足すことである、こういう精神でやりまして、そのとき外務省と余り関係なかったんですが、いささかそうした意味では貢献し得たというような問題もあったわけで、その当時は政府内におきましても、そんなことできるのか、外務省職員他省職員を持ってきて充てるというようなことができるのかというような

宇野宗佑

1988-03-09 第112回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第1号

かつて私は行管庁長官をいたしましたが、そのときにも今渡部委員が申されましたとおり、イタリア並みということがいいか悪いか別といたしまして、イタリアも立派な国家でございますが、人口からいくと我が国の方が多いし、また経済力も大きいだろう、そういう点からいきますと、さらにサミット参加国の中においても日本はやはりそれにふさわしい内容を整えるべきである、このように私も行管庁長官のときに申しまして、そして特別の配慮

宇野宗佑

1987-08-25 第109回国会 衆議院 環境委員会 第5号

また、今回の中公審の諮問のきっかけとなったのは第二臨調最終答申ですが、この臨調を進めたのも総理行管庁長官のときでした。また、指定地域解除に向けていろいろ国会でも何回かやりとりがあります、総理は、三年前からずっとこの指定地域解除に熱心な答弁を繰り返してきました。昨年の公約違反選挙自民党が圧勝すると一挙に全面解除に踏み切ったものであります。

岩佐恵美

1987-07-03 第108回国会 参議院 決算委員会 閉会後第7号

その席上に現総理はたしか行管庁長官としてお座りになって聞いておられたと思うのであります。そして、昨年六月九日に出されました我が党の選挙公約の「重点政策」の中で、「整備新幹線は、国土の均衡ある発展と地方の活性化を促進するため、国鉄の分割・民営化後も引続き、国の重要政策としてその建設を強力に推進します。

松尾官平

1986-08-20 第106回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第4号

それから、もう一つ申し上げますと、その当時の行管庁長官内閣総理大臣中曽根康弘氏は、「まず、予防に全力を尽くすということが大事だと思います。ふだんからそういう危険と思われる個所につきましては住民の皆さんにもよく御相談を申し上げて、また地方自治体とも相談をして、そして補強なりあるいは改良なりの努力を継続することが大事であろうと思います。」

安藤巖

1986-05-15 第104回国会 参議院 内閣委員会 第8号

太田淳夫君 深みを増したということでございますけれども、五十九年の五月に当時の後藤田行管庁長官行革審に対して危機管理のための整備の仕組みなどの検討を要請されているわけですけれども、このときの経緯というものはどういうものであるか、あるいはこれは行革審自体の任務との関係からこの問題は多少問題が残るんじゃないかと思うんですけれども、その点どうですか。

太田淳夫

1985-11-26 第103回国会 衆議院 内閣委員会 第5号

歴代の行管庁長官もそういうことを言ってこられた。そしてまた、厳格に区別をしていくと国会でもしばしば答弁してこられたわけですね。全くおかしいのじゃないですか。  さらに問題にしたいことは、中曽根行革とは一体何だったかということを改めて私たちは問い直さねばいかぬと思うのですね。小さな政府とか行政整理統合簡素化、これは確かに国民向けに聞こえはよい。

上原康助

1985-11-19 第103回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

後藤田国務大臣 私は、中曽根さんの行管庁長官当時どういう御答弁をしたのか知りませんけれども、ただいま申し上げましたように第二臨調からの御答申、これは閣議で決定をいたしておりますから、したがって、新しい税目によって税の負担率増高を来すような新しい措置は差し控えるべきであろう、かように理解をしております。

後藤田正晴

1985-11-12 第103回国会 衆議院 本会議 第4号

こうした一括方式は、中曽根行管庁長官時代からとみに顕著で、今回で六度目であります。この一括法案は、もともと成立の趣旨も経過も異なる二十六の法律案で構成されていますので、それぞれ分割して慎重に審議すべきものではないかと思うのは、私一人ではないでありましょう。まず、一括法案として提出された理由と審議権を拘束するのではないかという疑問に対し、総理に御見解をお伺いいたします。  

日笠勝之

1985-06-20 第102回国会 参議院 大蔵委員会 第20号

が、しかしながら今度は大変関連性が、いわば日切れ性を持っておりますので、したがって同日に衆参両院へロッカーインさせていただいたものでありますと、こういうお答えをしてきたわけでありますが、先例として、中曽根総理が当時の行管庁長官であられた時代行革特例法案というのはあらかじめそのものを決めてその後これを予算に反映したではないか、こういう御質問がありました。

竹下登

1985-06-04 第102回国会 衆議院 内閣委員会 第15号

我が党の岩垂議員が御質問申し上げたのに対して、当時の中曽根行管庁長官でございますけれども、非常に明確な御答弁をいただいております。「情報公開につきましては、私は積極的な立場をとって推進してまいりたいと思っております。」云々、また「情報公開分野は新しい行政分野として私たちは積極的な立場をとっていくつもりであります。」

小川仁一